私の根底に溢れている感情
罪悪感
日常では気がつきにくいけれど、
いつも働いている感情だったんだと、今日はっきり捕まえた
私がこの世界に”ある”ことの罪悪感
自分が”ある”ことで、
自分の影響がどんなに些細でも相手に与えてしまうこと
それが申し訳なくて
迷惑かけてしまっているようで
さらには、傷つけてしまうことかもしれなくて
この世界に自分が”ある”ことへの罪悪感
来ちゃいけない存在が、うっかり間違えてこの世界に来てしまったような感覚
この世界に「来てよかったんだよ」と肯定されたいけれど、
この世界に来てしまったことがバレてはいけないような
自分が、この世界に”ある”ことへの罪悪感
それは、
脳の部分認識のVRをつけている時に、自然と湧いてくる感覚
脳の部分認識のVRを外して、全体を認識した時、
罪悪感は、何のメッセージなのか?
罪悪感は、一番の応援のメッセージになる
罪悪感は、
本当の自分を忘れること
全てのつながりを無くしてしまったままであることに気づかせて
くれるきっかけ。
『本当の自分に気がつく時だよ』のメッセージを伝えるための機能なのだ。
なんでもそうなんだけれど、
機能をわかって使うことが大切なのだ。
脳の認識の世界を出た時に溢れる感情
それが、尊厳
そして尊厳に戻った時に、
”ある”ことの凄さと出会う。
これは、言葉にすることが難しい深い感動がある世界
深い感動を、日々の選択で生み出していく。
今日もお読みいただきありがとうございました。