人が2人以上集まればチームになります。
恋人も、家族も、仕事の仲間も、サークルの仲間も。
人と人が出会うことはすごいことだなと最近改めて感じます。
過去の経験からくる当たり前が全然違う人同士が1つのプロジェクトをすると、
真剣だからこそ、
普段何気なく持っているけれど曖昧にしてきた、
その人がこの世界を観る時に使ってきた大前提が浮き彫りになっていきます。
ミッションリンクという2人のチームを組んでいて、
研修などさせてただく機会がありますが、
そちらで人と人の違いの具体的として、
チームで以前よく起きていた話をさせていただくことがあります。
私は2人姉妹の妹でした。
姉とは5歳違いだったので、
私が通っている保育園に小学生の姉が迎えにきてくれたりもしました。
小学1年の算数と小学6年の算数はレベルが全然違いすぎて、
姉はすごいなと感じていました。
自分でできることは頑張るけれど、自分は未熟な存在なのだと感じていました。
だから、1人では出来ないことがあることは当たり前で、
人と共に何かすることが当たり前の感覚なのです。
チームを組んでいる堀江さんは、真逆なのです。
3人兄弟の長男として生まれたので、
自分でなんでもできないといけないし
自分でできる感覚があるのです。
なので自分1人の力で成し遂げようとすることが当たり前です。
まず自分の力でやってみることが当たり前で
結果やれなかったことはありますが、
「やる」という意思によって状況に応じて必要な能力を獲得して実績を積み重ねていきました。
そんな違う2人がチームになるとどうなるのか?
私は未熟は当たり前で、
だからこそ2人の力で1つのことが成せることが当たり前なので、
1つのプロジェクトをより良くしていくために、
思ったことや改善できることをそのまま話をして作っていくスタイルです。
それを聞いた堀江さんは、
自分で何でもやれることが当たり前で、
できていないと感じるシチュエーションを受け入れることは難しいスタイルです。
私は、未熟なポイントを明確にするコニュニケーションを通して、
作り上げていくことにワクワクしてどんどん話すほど、
堀江さんはフリーズしていきます。
最初は何が起きているのかわからず、
能力の高い堀江さんがわからないのは私の言葉が足りないからだと思い込み、
このワクワクを共有しようとさらに熱弁すると、
さらにさらに相手の表情は固くなるという悪循環がありました。
もっともっと未来を語ろうとする私と、
出来なかったところを受け入れることが難しいので、
その理由(過去)を話を始める堀江さんの交流は、
もはや打ち合わせどころではないですね笑
人は幼い頃に育った環境の範囲の中で、思い込む世界があります。
自分とはどんな存在なのか。
世界とはどんなものなのか。
幼い頭で自分なりに決めつけた、自分観と世界観。
大人になった私たちはその幼い頭で決めつけた世界を大前提にして、
今ここコミュニケーションをします。
なので、お互いの経験・学んだこと・頑張り方が違うので、
まさかのタイミングで誤解やズレが生まれます。
私はどんどん未熟なポイントを明確にして、
そこを補うアイデアが会話を通してうまれていくことに楽しくなりやすいのですが、
その横で相手の表情がどんどん固まっていくアンバランスな状況に初めは、
はてな?❓❔マークが
頭にたくさん浮かびました。
今は私とは違う頑張り方をここまで明確に見せてもらう機会を得たことで、
人って、その人が思う最善の頑張りを精一杯しているんだということを、
心の奥深い感情まで感じさせてもらえる出来事でした。
自分の頑張り方と相手の頑張り方が違う訳
それは、過去の経験を通した思い込みが違うから。
思い込みからなぜ今ここ見てしまうの?
それは、
脳には消しゴムの機能がなくて、足し算しかできないから。
思い込みから出て、相互理解するにはどうしたらいいの?
アインシュタインの言葉をお借りすると、
『いかなる問題も、それをつくりだした同じ意識によって解決することはできません』
と話しているように、認識する次元をあげることが大切なのです。
認識の次元が上がることを通して、
自分のことも相手のことも俯瞰して観ることができるので、
コミュニケーションの事故が全て学びになり、
個人の成長とチームの成長が重なりあった、
何があっても大丈夫な安心の土台から終わりなき作っていける・成長していく楽しみの循環を作っていけるのです。
お読みいただきありがとうございました。