関係の中で、自分の気持ちを言わないことを覚えたのはいつですか?
私は、子供のころに葛藤した1シーンがあります。
天気のいい日曜日に、週に1度家族4人が一緒に過ごせる貴重な時間でした。気がつくと、父が母に対して怒っている気持ちが伝わってきます。
それを見て、私はとっさに父は母を誤解している!と思い、
けれど何も言おうとしない母を見て私は、
「なんで言わないの?言った方がいいよ!」
と母に言いました。
その当時は純粋に、母が自分のことをちゃんと話せば父もすぐにわかると思っていたから。
母は、
「お母さん、もう言うの辞めたの。
言った方が、余計に嫌な空気になるから」
それを聞いた私は、理解ができませんでした。
なんか、それ違う!って思うけれど、
それを話す言葉も持っていなかったし、母が言ってることもわからなかったのです。
言わない方がいいなんて、なんか違う!強く感じるけど、
そんな風に感じる私が、余計な問題を作っちゃうのかな?とか、
わからなくなったのを覚えています。
今わかったことは、
この1シーンは特別なことではなく、よくあることだったんだなということです。
少なからず我慢や妥協をして、パートナーシップが維持されているんだなと。
これは言ってもしょうがない、
こういうもんだよねと、
今は言わずに見守っておこうなど
言うことと言わないことが習慣化していって、
感じているけれど言わないことが、自然と関係性の中でお互いに育っていきやすい。
一緒にいるからこそ、
共有する時間が長くて良く相手のことがわかることもあるのだけれど、
一緒にいるからこそ、
決めつけや思い込みで相手が見えなくなっていくことがある。
今ここ、新しい出会い直しができることは、
パートナーシップを育てていく中でとっても大切なことです。
私にも思い込みがあるし、人にも思い込みがあること、
その思い込みのアルゴリズムをお互いが理解しながら、
そのアルゴリズムを超えて出会う時に、
完全な循環のコニュニケーションから、
関係性を毎日育んでいけることがこれからの新しい面白さ。
だって私たちはAIではないのだから、
AIができないことを楽しむのが人間の不醍醐味!
毎瞬毎瞬出会っていくチャンス。
それは地道だけれど、あったかい時間。
これからは、何をやるの?の前に
どんな関係性を育んでいるの?が大切になっていきます。
今年、循環するパートナシップが築ける30人のコミュニティが作りしてます。
絶賛、決めつけてしまう脳の初期設定を超えて出会おうとするパイオニア募集中!