見守る愛情から循環する愛情へ

見守る愛情から循環する愛情へ

認識技術n Techを取り入れて私の中で大きく変わったことの1つが、
どれくらい見守る繊細な愛情の中で、
自分が育ってきたのかがよくわかったことです。

その中でも、今はいない祖父の心の中にあっただろう大きくて繊細な愛情と、
それを全部心に留めてただただ私を見守ってくれていたことに気がついたのは、
祖父が亡くなってからでした。

私は祖父のことが大好きでしたし、
いつの頃からか祖父を守りたい気持ちもあったけれど、
結局は自分のことに精一杯で彼の気持ちに気がつけたのは、随分後になってからのこと。

私が生まれて育った時代は、
物があるのが当たり前で、
小学校低学年の頃には高校卒業したら地元を離れて、
もっと広い世界とたくさん出会いたいと思えるような時代だしそれが当たり前の感覚でした。

この私が当たり前と思える時代の背景には祖父の生きた時代があります。
祖父の生きた時代は全く違う。
若い頃に戦争が始まり、アジアを兵隊としてまわり、
たくさんのその時の言葉にならない記憶を胸にしまって生きて日本に帰国。

祖母と結婚して、
たくさんの悲しみや今では計り知れない感情を自分の胸の奥に秘めたまま、
実直に仕事に打ち込みながら、家族を作っていった人生。

自分の贅沢のためにはお金は使っていないのだと思う。
子供や孫のためには、大切な節目にはお金を惜しまずに購入する、
そんなスタイルだったなと今は感じます。

言葉で愛情を表現をするのではなくて、
何かをしてあげることで思いを伝えてくれていたスタイル。

お金が、祖父にとっては愛情そのものだったんだなと後になって気がつきました。

“沈黙の愛情”

その彼の思いを感じると、
今でもとても暖かさと感謝と、けれどなんとも言えない切なさを感じるのです。

お互いに大切に思ってはいたけれど、
お互いが自分の思いの中で、相手に接していたから。

生きている間に、
彼の深い愛情をそのまま受け止められていたらどんなに良かったかと。
生きてる間に、
言葉にするのが難しいけれど、言葉でも交流ができたらもっと人生は豊かになると思う。

私と祖父の関係は、

日本の歴史の流れと、その中で生きた人たちの感情の動きをひいて見た時に、
そのまま繋がっていて、
日本社会の縮図のように思うようになりました。

祖父からもらった今の時間を生きる私は、
たくさんの言葉にできなかった涙を超えて、
見守る愛・沈黙の愛情から循環する愛情へシフトする役割なのだと思っています。

 

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