時代の変化に左右されない教育とは?
- 2018.03.27
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企業の中で社員教育に携わる方とお話しさせていただく機会がありました。
「時代が毎年のように大きく変化する中で、何を提供することがベストなのだろう?
人の教育に携わるようになり、
以前より責任を感じるようになったのですが、
本当にこれでいいのかどうか。」
と自問自答されてる姿がありました。
みなさんだったらこの問いにどのようにお答えになりますか?
心のある方だな、
とお話しできたことそのものに嬉しい気持ちになりました。
思いがあるからこそ、
たくさんの選択肢がある中で自分が選択した教育が本当にベストなのかと、
終わりなき自問自答されているんだろうなと感じました。
沢山の方に教育をされている方でしたら、
このようなお悩みを感じたこともある方もいらっしゃるかもしれません。
私もそんな悩みををもっていた時期があります。
私は両親が教員だったこともあって、
幼い頃から両親が生徒たちに対して、
どうしたらその子の持っている可能性をひらいていけるのか?と
悩み・葛藤している姿に日常的に触れていたので、
人の人生作りに携わることの難しさと同時に醍醐味のようなものを感じていました。
けれど、
次第に本当の教育とはなんだろうと疑問に思うようにもなりました。
この世界はどんどん発展していってるように見えるけれど、
その反面戦争は終わらないし、
むしろ新しい争いごとが増えていくようにも見える。
だから、今の教育は何か違うんじゃないかの疑問があったんです。
なんで戦争や争いは起きていくの?と思ったときに、
次第に特別な人がしているのではくて、
条件が揃えばしてしまうのが、
もしかしたら私も含めた人間なのかもしれないと次第に思うようなりました。
そう思ったときに、とてもドキドキしました。
なんだか、気づいてはいけないことに気づいてしまったような。
争ってしまう背景に、
どんな心の動きがあるのか知りたいと思ったし、
違う価値観を生かし合うことはどうしたらできるのか、
とても知りたくて大学では心理学を専攻しました。
けれど、
違いを超えていく、はっきりとした答えは見つからずにいました。
このことは、
会社の中でも同じことが起こっているんじゃないかと私は思っています。
会社の中でも意見の違いを活発に議論しにくい雰囲気があったり、
上司と部下が日常で触れる情報の違いからくる視点の違いを超えられないなど。
どこか我慢や諦めが前提になったチームプレーに少しづつなっていく。
我慢できる間はチームプレーできるけど、
キャパを超えたときにチームプレーできなくなる。
小さい単位だと友達関係や家庭、
大きな単位になると国の規模でも同じことが起きているようにみえるのです。
だから、
企業の中でも意見の違いからくる葛藤や心の中の戦争になってしまうことも。
時代に左右されない教育とはなに?と考えると、
人間がずっと繰り返している課題はなに?と考えることで、
時代に左右されない教育になると思いました。
人類がまだやめられないもの。
それは、
人と人の違い超えられないこと。
これが、
葛藤や誤解、争いや戦争が生まれる基本単位になります。
どうして、違いが生まれるの?
人は、自分が経験したことを土台にして、
感じたり、考えたり、関係を作っていきます。
全ての基本土台になっている経験は、
その人オリジナル。
たとえ双子であっても、違う景色から経験しているので、
全く同じ経験をした人はこの世界にいないのです。
経験というオリジナルのメガネをかけて、
人と人は出会っているのです♪
このメガネ、
いつかけたのかも、
自分でかけたこと自体も、
うっかり忘れてしまうくらいナチュラルなつけ心地なので、
とっても気がつきにくいメガネです。
なので、気づいたときには、
気づいた本人が笑っちゃうこともありますし、
周りが、
だからよく○○って言ってたんだね〜
と理解できたり、妙に納得できたりして関係が変わっていきます。
♣大事なファーストステップ
「自分オリジナルのメガネに気がつくこと」
時代に左右されない教育とは、
違いを超えて人と人の認識が循環することができる教育だとおもいます。
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